2026年06月26日
整理を始める
古希を迎えたと思ったら
アッと言う間に2年が過ぎ
時の進む速さに改めてビックリしてしまいます。
今年に入ってから身の回りを整理しなくてはと
流石に思うようになりました。
母も亡くなり、義妹も亡くなり
なんだか、やけに静か過ぎる環境になった今
ふと、まわりを見渡すと必要のない物で溢れかえっている様が
目に付くようになりました。
二人の人間を立て続けに看取ってから
自分の先がはっきりと見えてきたせいかもしれません。
必要なものは限られているし、少量のものがあれば間に合います。
その上実弟には跡を取る子供がおらず
処分しなければ私の息子夫婦や孫が担うようになってしまいます。
相続の事は機会を設けて話し合うつもりですが
その前に家財の整理をしなければという思いに至りました。
瀬戸物や母の和服、母の花器、大きな物置いっぱいのガラクタ‥
それらを燃えないゴミ、小さな金属、粗大ごみに分け
市のごみ収集に出したり、引き取り媒体を利用したりして
1~2年かけコツコツと整理していくつもりです。
先日、市の広報に
不要になった本やDVD等があったら
寄付してくださいとの記事が載っていました。
県が関わる、ある事業運営の助けになるということなので
早速大きめの段ボール3箱程の本やDVDを
引き取りに来た業者の方に預けました。
数日後、業者から報告メールがあったのですが
本やDVDがビックリする程の金額に査定され
寄付されたとのことでした。
無事寄付が出来て良かったのですが‥
私の頭の中で度量の小さい不埒な想いがゆらゆらと
ワカメか昆布のように揺らめいた瞬間がありました。
「こんなに高く売れるんかい!小旅行できたじゃん!」
私とてギリギリの【遺族厚生年金】で生活している身でございます。
まさか中古の本やDVDがこんなにしっかりとした金額になるとは
思っていませんでした‥
でも、まあ誰かが喜んでくれればいいか‥
あっても見向きもしなかった本やDVDだもの‥
それにしても亡くなった夫が将来受け取る予定で納めていた
年金はいったいどこへ行ったのだろう?
そうか‥年金の仕組み自体
国家総ぐるみのねずみ講と聞いた事があります。
積み立て方式ではなく賦課方式と言う事で
とっくに誰かの年金として消えていったはずだ‥
そんなことがほんの一瞬ですが頭をもたげるのです‥‥
なんか、せこいヤツだなぁ‥私って‥などと想う昼下がりでした。
普段使いの陶器類は不燃ごみとして
少しずつ市のごみ収集日に出し始めました。。
まだまだ始まったばかり‥
なんとかやりきらなければと思っています。
唯一の楽しみであるSnow Manのライブに行けたら
それはそれは幸せだなぁ‥と思いながら
今日もとてつもない枚数の写真の整理に手を出して
精を出す私です。

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アッと言う間に2年が過ぎ
時の進む速さに改めてビックリしてしまいます。
今年に入ってから身の回りを整理しなくてはと
流石に思うようになりました。
母も亡くなり、義妹も亡くなり
なんだか、やけに静か過ぎる環境になった今
ふと、まわりを見渡すと必要のない物で溢れかえっている様が
目に付くようになりました。
二人の人間を立て続けに看取ってから
自分の先がはっきりと見えてきたせいかもしれません。
必要なものは限られているし、少量のものがあれば間に合います。
その上実弟には跡を取る子供がおらず
処分しなければ私の息子夫婦や孫が担うようになってしまいます。
相続の事は機会を設けて話し合うつもりですが
その前に家財の整理をしなければという思いに至りました。
瀬戸物や母の和服、母の花器、大きな物置いっぱいのガラクタ‥
それらを燃えないゴミ、小さな金属、粗大ごみに分け
市のごみ収集に出したり、引き取り媒体を利用したりして
1~2年かけコツコツと整理していくつもりです。
先日、市の広報に
不要になった本やDVD等があったら
寄付してくださいとの記事が載っていました。
県が関わる、ある事業運営の助けになるということなので
早速大きめの段ボール3箱程の本やDVDを
引き取りに来た業者の方に預けました。
数日後、業者から報告メールがあったのですが
本やDVDがビックリする程の金額に査定され
寄付されたとのことでした。
無事寄付が出来て良かったのですが‥
私の頭の中で度量の小さい不埒な想いがゆらゆらと
ワカメか昆布のように揺らめいた瞬間がありました。
「こんなに高く売れるんかい!小旅行できたじゃん!」
私とてギリギリの【遺族厚生年金】で生活している身でございます。
まさか中古の本やDVDがこんなにしっかりとした金額になるとは
思っていませんでした‥
でも、まあ誰かが喜んでくれればいいか‥
あっても見向きもしなかった本やDVDだもの‥
それにしても亡くなった夫が将来受け取る予定で納めていた
年金はいったいどこへ行ったのだろう?
そうか‥年金の仕組み自体
国家総ぐるみのねずみ講と聞いた事があります。
積み立て方式ではなく賦課方式と言う事で
とっくに誰かの年金として消えていったはずだ‥

そんなことがほんの一瞬ですが頭をもたげるのです‥‥
なんか、せこいヤツだなぁ‥私って‥などと想う昼下がりでした。
普段使いの陶器類は不燃ごみとして
少しずつ市のごみ収集日に出し始めました。。
まだまだ始まったばかり‥
なんとかやりきらなければと思っています。
唯一の楽しみであるSnow Manのライブに行けたら
それはそれは幸せだなぁ‥と思いながら
今日もとてつもない枚数の写真の整理に手を出して
精を出す私です。
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2026年04月21日
看取るという事
2018年から母の本格的な介護が始まり
その後2022年4月に母は亡くなりました。
その翌年には私に大腸癌があることがわかり
最速で手術を終える事が出来ました。
術後の抗癌剤治療もなんとか7か月間で終了し
3か月に一回の通院で検査を受けながら約2年が経過し
おかげ様で現在に至っています。
実は私の抗癌剤治療を開始した直後
以前から通院治療中だった
義妹の体調が急激に悪化し
家で臥せってから10日程で亡くなりました。
近い将来こうなるだろうと思ってはいましたが
現実を認めたくないという気持ちが
ふと、でも案外大丈夫なのかも‥と言う期待を孕み
Xデーはまだずっと先の事だろうと自分に言い聞かせていました。
義妹が卵巣癌だと診断された時点では
ステージ的に手術でなんとかなるはずだと
周りの者は皆そう想っていました。
私自身も楽観視していました。
しかし、卵巣が腸に癒着していたそうで
手術はしたものの中途半端な結果に終ってしまいました。
状況は一変しました。
有効な治療法もなく
通院しながら処方された抗癌剤治療を続けながら
それこそ奇跡を願うのみのような状態の毎日でした。
もちろんセカンドオピニオンも受け検討もしましたが
あっという間に2年という時間を経て
義妹は母が逝った自宅の同じ部屋で旅立っていきました。
私といえば抗癌剤投与という出来事の最中
義妹の母親や兄弟、姪っ子達の対応やら送迎で
抗癌剤の辛さは言う程の事もなく過ぎ去っていきました。
それよりも何よりも義妹との最後の時間を過ごす私は
もう無我夢中ではっきりとした記憶が無い程です。
妻を亡くした実弟のショックもいかばかりかと気遣い
私自身、何とも言い難くこころもとない状態でした。
色々な感情が渦巻く私ではありましたが
とにかく事を前へ進めるのに精いっぱいでした。
今になって思う事なのですが
暮らし慣れて安心できる家で最後を迎えるという事は
もちろん委ねられる相手ありきの事です。
現在では昔のような大家族の中での看護や看取りは稀です。
母の時は共働きの弟夫婦は不在でしたので
庭で満開のモッコウバラが眩しく咲き誇る昼下がり
私一人で母を看取りました。
義妹の時は定年で退職した弟と私とで
最後を看取りました。
医師からは間もなくであろう事は告げられはしますが
今日だよとはもちろん言われません‥
母の時もまさか今日ではあるまいと
どこか先送りする心持ちも働き
私はのんびり隣の部屋で昼食を摂り
録画した映画を観ていました。
義妹の時も夜、今日は早く寝ようかと本を読み
半分うつらうつらし始めた時でした。
静かに眠るように逝った母とは違い
それまで静かだった義妹が2階にいた私に聞こえる程
大きく呻き始め、その様子の変化に驚き足が震えました。
最後の時間だと悟った弟と私は
それでも何とかならないものかと
必死に名前を呼びながら背中をさすりました。
父も夫も病院でのお別れでしたので
自宅のような煩雑さは少なく
看護師さんと事務の方に言われるまま動けば良かったのですが
自宅では医師への連絡、親族への連絡、葬儀屋の手配
訪問看護の方へ連絡といろいろあり
人の出入りもありばたばたと段取りが熟されていきました。
最後の義妹との何とも言えない時の余韻を引きずりながら
とにかく前へ前へと惜しむ間もなく事を片付けねばならず
どうしたって惣領の私が陣頭指揮をとってしまうのでした。
今にして思えば二年の間によくも二人の人間を
自宅で看取れたものだとつくづく思います。
義妹も昨年末には3回忌を執り行いました。
ぼんやりと庭を眺めるとモッコウバラがこんもりと
西日に照らされ輝いています。
フッと「私は病院でいいや‥その方がよっぽどいい‥」
と思いました‥

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その後2022年4月に母は亡くなりました。
その翌年には私に大腸癌があることがわかり
最速で手術を終える事が出来ました。
術後の抗癌剤治療もなんとか7か月間で終了し
3か月に一回の通院で検査を受けながら約2年が経過し
おかげ様で現在に至っています。
実は私の抗癌剤治療を開始した直後
以前から通院治療中だった
義妹の体調が急激に悪化し
家で臥せってから10日程で亡くなりました。
近い将来こうなるだろうと思ってはいましたが
現実を認めたくないという気持ちが
ふと、でも案外大丈夫なのかも‥と言う期待を孕み
Xデーはまだずっと先の事だろうと自分に言い聞かせていました。
義妹が卵巣癌だと診断された時点では
ステージ的に手術でなんとかなるはずだと
周りの者は皆そう想っていました。
私自身も楽観視していました。
しかし、卵巣が腸に癒着していたそうで
手術はしたものの中途半端な結果に終ってしまいました。
状況は一変しました。
有効な治療法もなく
通院しながら処方された抗癌剤治療を続けながら
それこそ奇跡を願うのみのような状態の毎日でした。
もちろんセカンドオピニオンも受け検討もしましたが
あっという間に2年という時間を経て
義妹は母が逝った自宅の同じ部屋で旅立っていきました。
私といえば抗癌剤投与という出来事の最中
義妹の母親や兄弟、姪っ子達の対応やら送迎で
抗癌剤の辛さは言う程の事もなく過ぎ去っていきました。
それよりも何よりも義妹との最後の時間を過ごす私は
もう無我夢中ではっきりとした記憶が無い程です。
妻を亡くした実弟のショックもいかばかりかと気遣い
私自身、何とも言い難くこころもとない状態でした。
色々な感情が渦巻く私ではありましたが
とにかく事を前へ進めるのに精いっぱいでした。
今になって思う事なのですが
暮らし慣れて安心できる家で最後を迎えるという事は
もちろん委ねられる相手ありきの事です。
現在では昔のような大家族の中での看護や看取りは稀です。
母の時は共働きの弟夫婦は不在でしたので
庭で満開のモッコウバラが眩しく咲き誇る昼下がり
私一人で母を看取りました。
義妹の時は定年で退職した弟と私とで
最後を看取りました。
医師からは間もなくであろう事は告げられはしますが
今日だよとはもちろん言われません‥
母の時もまさか今日ではあるまいと
どこか先送りする心持ちも働き
私はのんびり隣の部屋で昼食を摂り
録画した映画を観ていました。
義妹の時も夜、今日は早く寝ようかと本を読み
半分うつらうつらし始めた時でした。
静かに眠るように逝った母とは違い
それまで静かだった義妹が2階にいた私に聞こえる程
大きく呻き始め、その様子の変化に驚き足が震えました。
最後の時間だと悟った弟と私は
それでも何とかならないものかと
必死に名前を呼びながら背中をさすりました。
父も夫も病院でのお別れでしたので
自宅のような煩雑さは少なく
看護師さんと事務の方に言われるまま動けば良かったのですが
自宅では医師への連絡、親族への連絡、葬儀屋の手配
訪問看護の方へ連絡といろいろあり
人の出入りもありばたばたと段取りが熟されていきました。
最後の義妹との何とも言えない時の余韻を引きずりながら
とにかく前へ前へと惜しむ間もなく事を片付けねばならず
どうしたって惣領の私が陣頭指揮をとってしまうのでした。
今にして思えば二年の間によくも二人の人間を
自宅で看取れたものだとつくづく思います。
義妹も昨年末には3回忌を執り行いました。
ぼんやりと庭を眺めるとモッコウバラがこんもりと
西日に照らされ輝いています。
フッと「私は病院でいいや‥その方がよっぽどいい‥」
と思いました‥
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2026年03月19日
テレビの事‥
私の近況の一つとして
地上波のテレビ番組をほとんど見なくなりました。
推しの出演する番組こそ週何回かは見てはいますが
それすらTVerで見る事の方が多いです‥
同時に物心ついてからずっと生活の中にあり続けた新聞も止めました。
なぜかと言いますと
TVも新聞も
出来事を伝える情報に偏りがあったり
誰もが最も知りたいと思う重要な情報を伝えないという
ある意味情報操作とも思える事例が目につき嫌になりました。
その事実に気が付き始めたのは今から7~8年前
信じて疑わなかったある事件の情報が
報道とは全く違う側面を持つ正反対の出来事だと知った時でした。
SNSによって知りました。
それからというもの一事が万事で
今まで私が信じきっていた数々の情報の概要とは
明らかに異なる真実を孕んでいる報道が多くある事を知り
正直、腰が抜ける程驚き
知る前と後とでは生きている世界が違うような気さえしました。
それと共にSNSでは発信されている重要な情報が
どういうわけか?TVでは流れない事が多い事実も知りました。
美味しい店探しや、海外で起きたどうでもいいような話題が流れ
今やニュース番組もバラエティ番組のような体を成し
いくら待っても世界情勢など肝心な事は流れません‥
そんなこんなで今では信用できる出処確かなYouTubeや
Xなどから情報を得ております。
オールドメディアより多角的で偏りの無い情報に出会えます。
こうなりますとNHKの受信料がもったいなく感じるこの頃です。
漸く「NHKをぶっ壊せ!」の意味がわかった次第です。
まあ、息子などは学生時代から滅多にテレビを見ませんでしたし
たまに来る孫もゲームやSNSやらで手一杯という感じです。
私が生まれる前年にTVは初めて放映に至りました。
言うなればTVの歴史と共に育ってきたようなものです。
当初TVは一介のサラリーマンの父の手に入るような
価格ではなかったようですが
それでも何とか私が幼稚園年中のある日
TVはいきなり家にやってきました。
早速私はテレビっ子となり
月光仮面、少年ジェット、怪傑ハリマオ、ディズニーランド
ローハイドや日真名氏飛び出すなども夢中で見ました。
その後の最盛期にはTVは家の中心に居座り
ドラマ、歌番組、バラエティ等と盛り上がり
家族で毎日楽しませて頂きました。
生前の介護中だった母との生活では
デイサービス、リハビリ、診察と今想えば忙しい日々でしたが
空き時間はワイドショー漬けの間延びした時間を
4~5年過ごしたわけですがそれはそれで楽しんで見ていました。
でも何時の頃からかTVはやらせ問題や番組の質低下
意図的な偏向報道、局内の不祥事、マンネリ化など枚挙に遑なく
何よりもSNSの普及によってもTV離れに拍車がかかっているようです。
その上国民からの受信料で成り立つNHKは偏向報道、捏造番組
誤報道、職員の不祥事など数多くの問題を抱えており
NHKを解体すればよいのでは?とまで言われてしまう始末です。
政権も変わり、社会情勢もざわざわしておりますしねえ‥
外に出れば海外の人がやけに目につきますし‥
スパイ天国のこの国がスパイ防止法を早く成立させて
某国に乗っ取られぬよう注意もしなくてはなりませんし‥
その上日本は災害の申し子のような国ですし気は抜けませんよね‥
先の震災では移住されていた外国の方々は
慌てて自国へと帰国されたようですが
私達自国民はもちろん、何があろうともこの国しかありません。
まあ‥それでも私は推し活に勤しんではいますが‥
死ぬまでこの国で生きます‥

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地上波のテレビ番組をほとんど見なくなりました。
推しの出演する番組こそ週何回かは見てはいますが
それすらTVerで見る事の方が多いです‥
同時に物心ついてからずっと生活の中にあり続けた新聞も止めました。
なぜかと言いますと
TVも新聞も
出来事を伝える情報に偏りがあったり
誰もが最も知りたいと思う重要な情報を伝えないという
ある意味情報操作とも思える事例が目につき嫌になりました。
その事実に気が付き始めたのは今から7~8年前
信じて疑わなかったある事件の情報が
報道とは全く違う側面を持つ正反対の出来事だと知った時でした。
SNSによって知りました。
それからというもの一事が万事で
今まで私が信じきっていた数々の情報の概要とは
明らかに異なる真実を孕んでいる報道が多くある事を知り
正直、腰が抜ける程驚き
知る前と後とでは生きている世界が違うような気さえしました。
それと共にSNSでは発信されている重要な情報が
どういうわけか?TVでは流れない事が多い事実も知りました。
美味しい店探しや、海外で起きたどうでもいいような話題が流れ
今やニュース番組もバラエティ番組のような体を成し
いくら待っても世界情勢など肝心な事は流れません‥
そんなこんなで今では信用できる出処確かなYouTubeや
Xなどから情報を得ております。
オールドメディアより多角的で偏りの無い情報に出会えます。
こうなりますとNHKの受信料がもったいなく感じるこの頃です。
漸く「NHKをぶっ壊せ!」の意味がわかった次第です。
まあ、息子などは学生時代から滅多にテレビを見ませんでしたし
たまに来る孫もゲームやSNSやらで手一杯という感じです。
私が生まれる前年にTVは初めて放映に至りました。
言うなればTVの歴史と共に育ってきたようなものです。
当初TVは一介のサラリーマンの父の手に入るような
価格ではなかったようですが
それでも何とか私が幼稚園年中のある日
TVはいきなり家にやってきました。
早速私はテレビっ子となり
月光仮面、少年ジェット、怪傑ハリマオ、ディズニーランド
ローハイドや日真名氏飛び出すなども夢中で見ました。
その後の最盛期にはTVは家の中心に居座り
ドラマ、歌番組、バラエティ等と盛り上がり
家族で毎日楽しませて頂きました。
生前の介護中だった母との生活では
デイサービス、リハビリ、診察と今想えば忙しい日々でしたが
空き時間はワイドショー漬けの間延びした時間を
4~5年過ごしたわけですがそれはそれで楽しんで見ていました。
でも何時の頃からかTVはやらせ問題や番組の質低下
意図的な偏向報道、局内の不祥事、マンネリ化など枚挙に遑なく
何よりもSNSの普及によってもTV離れに拍車がかかっているようです。
その上国民からの受信料で成り立つNHKは偏向報道、捏造番組
誤報道、職員の不祥事など数多くの問題を抱えており
NHKを解体すればよいのでは?とまで言われてしまう始末です。
政権も変わり、社会情勢もざわざわしておりますしねえ‥
外に出れば海外の人がやけに目につきますし‥
スパイ天国のこの国がスパイ防止法を早く成立させて
某国に乗っ取られぬよう注意もしなくてはなりませんし‥
その上日本は災害の申し子のような国ですし気は抜けませんよね‥
先の震災では移住されていた外国の方々は
慌てて自国へと帰国されたようですが
私達自国民はもちろん、何があろうともこの国しかありません。
まあ‥それでも私は推し活に勤しんではいますが‥
死ぬまでこの国で生きます‥
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2026年01月28日
お久しぶりです‥1年3か月ぶり?!!
光陰矢の如し、歳月人を待たずと言いますが
手術前と後の体調の変化になかなか慣れず
時間の流れに乗り切れずにいました。
気が付けばSnow Manの記事を公開してから1年3か月経ちました。
そりゃ、腸の一部を切除したわけですから
以前と変わらぬ体調で過ごす事は叶わず
自分なりの悪戦苦闘の日々を送っていました。
しかし要は変化した身体のリズムに反発せず
そのまま受け入れ過ごす事が一番の得策だという考えに及び
何とか最近、気分的にも復調の兆しが見えてきました。
今年は年女となり、錆びつき軋む70代のレールの上を
のろのろと走り続けてはいます。
そして‥
色々とあった最中ではありましたが推し活は細々と続いていました。
何を隠そう私は1年2か月前
人生初めてアイドルのファンクラブに入会しました。
もちろんSnow Manのファンクラブです。
70歳過ぎてからまさか自分が
ジャニヲタになるとは想像もしていませんでした。
ジャニーズ事務所では2023年に色々ありまして
現在はSTARTO ENTERTAINMANTとなりました。
初代ジャニーズは私が小学生低学年の頃デビューしており
中学生の頃にはフォーリーブスがデビューしますが
私はアイドルには全く興味が無く
THE TIGERSやゴールデンカップスなど
当時大人気だったグループサウンズに夢中になっていました。
特に私の推しはTHE TIGERSのメンバー
ジュリー(沢田研二)でした。
当時の私は日劇のウエスタンカーニバルや新宿ACB
田園コロシアム等のライブに足を運びました。
私は行く事が叶わなかったのですが
後楽園球場で日本初のスタジアムライブを
開催したのはTHE TIGERSでした。
そして武道館でのTHE TAIGERS解散コンサートを
高校生の私はしっかりと見届けました。
確かその時のチケットが最近まであったはずなのですが
見当たりません‥処分しちゃったのかな‥?
その後もジュリー推しは続き母の介護が始まる前までは
カーネル・サンダースのような風貌に変化を遂げた
70代のジュリーのライブに何回か出向いておりました。
70歳近くに至るまで全く縁の無かったジャニーズのアイドル
Snow ManのFCへ入会した私ですが
なんと!!この度の78万人動員ライブツアーONに応募し
180万人越えのFC会員の中から見事当選という恩恵を受けたのです!!
お陰様で昨年12月24日「Snow Man Dome Tour 2025-2026 ON」の
東京ドームライブ参戦を果たす事ができました!
幸いにも1階3塁側、前方の席でしたので
肉眼でご本人達のお顔を拝むという奇跡に巡りあう事ができました
ああ!やっぱり実在していたんだ!となんだかピンとこないような
ホワーっとしたような不思議な感覚に捕らわれ
夢の3時間近くを宙に舞っていました。
規則に従って団扇を胸のあたりで持ち
ペンライトはメンバーそれぞれのカラーに合わせ
調節しながら、恐る恐る応援の声を上げたりしました。
めめが画面で見る以上のイケメンすぎでクラクラだし
ラウールは眩いばかりの二次元天使だし
ふっかの声にはウッカリ溺れそうになるし
細くてまっすぐなしょっぴーの美脚には見惚れ
スタイルお化けなこーじくんにも見惚れ
ファンサ達人のアベちゃんは美人だし
ひーくんは胸板分厚く統率力があるし
端正なお顔立ちのさっくんは元気にジャンプするし
漸く慣れてきた舘様もまだ何か持っていそうな奥深さがあるし‥
おかげ様で堪能しまくりました。
冥途の土産とは言わず、80歳になるまで何回もライブ参戦したい!!
大げさではなく生きる糧です。
又時々ブログ公開したいと思います。
よろしくお願いします。

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手術前と後の体調の変化になかなか慣れず
時間の流れに乗り切れずにいました。
気が付けばSnow Manの記事を公開してから1年3か月経ちました。
そりゃ、腸の一部を切除したわけですから
以前と変わらぬ体調で過ごす事は叶わず
自分なりの悪戦苦闘の日々を送っていました。
しかし要は変化した身体のリズムに反発せず
そのまま受け入れ過ごす事が一番の得策だという考えに及び
何とか最近、気分的にも復調の兆しが見えてきました。
今年は年女となり、錆びつき軋む70代のレールの上を
のろのろと走り続けてはいます。
そして‥
色々とあった最中ではありましたが推し活は細々と続いていました。
何を隠そう私は1年2か月前
人生初めてアイドルのファンクラブに入会しました。
もちろんSnow Manのファンクラブです。
70歳過ぎてからまさか自分が
ジャニヲタになるとは想像もしていませんでした。
ジャニーズ事務所では2023年に色々ありまして
現在はSTARTO ENTERTAINMANTとなりました。
初代ジャニーズは私が小学生低学年の頃デビューしており
中学生の頃にはフォーリーブスがデビューしますが
私はアイドルには全く興味が無く
THE TIGERSやゴールデンカップスなど
当時大人気だったグループサウンズに夢中になっていました。
特に私の推しはTHE TIGERSのメンバー
ジュリー(沢田研二)でした。
当時の私は日劇のウエスタンカーニバルや新宿ACB
田園コロシアム等のライブに足を運びました。
私は行く事が叶わなかったのですが
後楽園球場で日本初のスタジアムライブを
開催したのはTHE TIGERSでした。
そして武道館でのTHE TAIGERS解散コンサートを
高校生の私はしっかりと見届けました。
確かその時のチケットが最近まであったはずなのですが
見当たりません‥処分しちゃったのかな‥?
その後もジュリー推しは続き母の介護が始まる前までは
カーネル・サンダースのような風貌に変化を遂げた
70代のジュリーのライブに何回か出向いておりました。
70歳近くに至るまで全く縁の無かったジャニーズのアイドル
Snow ManのFCへ入会した私ですが
なんと!!この度の78万人動員ライブツアーONに応募し
180万人越えのFC会員の中から見事当選という恩恵を受けたのです!!
お陰様で昨年12月24日「Snow Man Dome Tour 2025-2026 ON」の
東京ドームライブ参戦を果たす事ができました!
幸いにも1階3塁側、前方の席でしたので
肉眼でご本人達のお顔を拝むという奇跡に巡りあう事ができました

ああ!やっぱり実在していたんだ!となんだかピンとこないような
ホワーっとしたような不思議な感覚に捕らわれ
夢の3時間近くを宙に舞っていました。
規則に従って団扇を胸のあたりで持ち
ペンライトはメンバーそれぞれのカラーに合わせ
調節しながら、恐る恐る応援の声を上げたりしました。
めめが画面で見る以上のイケメンすぎでクラクラだし
ラウールは眩いばかりの二次元天使だし
ふっかの声にはウッカリ溺れそうになるし
細くてまっすぐなしょっぴーの美脚には見惚れ
スタイルお化けなこーじくんにも見惚れ
ファンサ達人のアベちゃんは美人だし
ひーくんは胸板分厚く統率力があるし
端正なお顔立ちのさっくんは元気にジャンプするし
漸く慣れてきた舘様もまだ何か持っていそうな奥深さがあるし‥
おかげ様で堪能しまくりました。
冥途の土産とは言わず、80歳になるまで何回もライブ参戦したい!!
大げさではなく生きる糧です。
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2024年10月15日
Snow Manに嵌る自分にびっくり
今夜6時半から2時間半SP⛄️
— それSnow Manにやらせて下さい (@sore_snowman) October 11, 2024
※よる7時までは一部地域
ダンス即興完コピバトル🔥
👑完コピMVP選抜
目黒 蓮
花村想太(Da-iCE)
小林直己(三代目 J SOUL BROTHERS)
石井杏奈
👑世界的プロダンサーチーム
松田元太(Travis Japan)
ほなつ
ゆいな
柏木由紀
キンタロー。
💎審査員
TAKAHIRO #それスノ pic.twitter.com/bIvOJtPJhj
金木犀の香りを今日初めて感じました。
いつもより大分遅いような気がします。
漸く抗がん剤治療も7月中旬に終了し
以前のような生活が送れると想っていた私でしたが
その考えが甘いという事に気がついた今日この頃です。
抗がん剤の後遺症による痺れや倦怠感や手足の強張り等があり
想像していた以上にやるせない日々が続いています。
推しの高橋一生さんによるドラマや舞台等もありませんし
友人との食事や、旅行などもまだまだ体が伴いません‥
10月初旬、体を休めながらYouTubeを覗いていましたら
Snow ManのMV「EMPIRE」にたまたまぶち当たり
そのままズブズブっと嵌りました‥あっと言う間の出来事でした。
それからというものSnow Manの過去のYouTubeチャンネルを
ずーっと見続けています。
魔法にかかったように止まりません‥
目黒蓮さん出演の「silent」や先日まで観ていた「海のはじまり」は
しっかり観ていて、目黒さんがSnow Manのメンバーである事は
知ってはいましたが、グループ仕事を見たのは紅白歌合戦位でした。
あれは‥Snow Manのデビュー時の頃だったのか?
テレビに流れるスポットのような枠組で
一時期、頻繁に「Snow Man」を目にした記憶があります。
当時「へ~‥スノーマンっていうグループいるんだ」と言う位の感想で
「The Snowman」に描かれている雪だるまの絵が頭に浮かぶものの
各メンバーのお顔を確認するまでの興味はありませんでした。
それがここ1~2週間で心はSnow Manにぐっと掴まれてしまいました。
メンバーのおひとりづつの個性が強く素敵なので
Snow Manというグループそのものが好きになりました。
特に誰がと言うことはないので箱推し?と言う事ですね。
お名前も全員覚えましたし
それぞれの特徴も把握し、メンバーひとりひとりの
現在に至るまでの経緯も知りました。
MVも見続けているのですが、ダンスと楽曲の素晴らしさに
魅入られてしまい‥何回も見てしまいます。
古希の自分の心の動きに驚いています。
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