2019年05月
2019年05月31日
上田岳弘さん小説の帯一生さん!直筆
(2/2)単行本では上田さんの小説の愛読者でもいらっしゃる俳優・高橋一生さんに帯の言葉をいただきました(直筆をそのまま使わせていただきました)。まさにこの作品の壮大な世界観を象徴する二つの言葉です。現代で一番新しくまた最も先へと進んでいるこの物語をぜひ体験してください。(я) pic.twitter.com/CM0TzZ9DrU
— 新潮社・文芸第一 (@Shincho_Bungei1) 2019年5月28日
「キュー」
『狭義では戦争、広義では愛‥‥』
今回も上田さんの小説の帯は一生さんです。
しかも直筆がそのまま使われています。
私はまだ読んでいないので見当もつきませんが
上田さんがデビューする前から構想していた作品だそうです。
人類をひとつに溶かす‥‥って何だろう?
すごく興味がわいてきました!
上田岳弘さんについては
以前TVで一生さんのご自宅の本棚が映し出された折
並んでいる本の背表紙にお名前があったので知りました。
帯の背に芥川賞候補作とある「異郷の友人」という作品でした。
上田さんは後に「ニムロット」でまさに芥川賞を受賞しました。
本棚には一生さんお手製の
刺し子のブックカバーも見てとれます。
本が好きで大事に読まれる一生さんの身上が表れていました。
上田岳弘さんは存在感をますます増しておられますね。
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2019年05月28日
ちょっと不思議な出来事
母は5人姉妹の3番目です。
現在、信州の母の実家は5番目の末娘である叔母が継いでおります。
その叔母から母へ手紙が届きました。
私は入院中の母へ、その手紙を届けるため病院へ行きました。
入室しますと母は寝息をたてて寝入っていました。
時計を確かめると午後2時15分前でした。
30分程で母が目覚めましたので
手紙の封を開け中を見ますと、写真が同封されておりました。
叔母と一緒に写っていたのは
現在施設に入居している、母のすぐ上の姉で2歳違いの伯母でした。
先日、叔母が施設を見舞った時に撮った写真だそうで
2番目の伯母は相変わらず大きな目を開け
満面に笑みを湛えていました。
ベッドの母に写真を渡すと、寝起きのぼやけた顔が
急に光りを当てたように輝きました。
「いいなあ‥元気そうだなあ‥」と
母は写真を見ながらつぶやきました。
安曇野の道祖神が描かれている叔母の手紙には
丁寧な筆跡で近況が書かれていました。
その日、病院をあとにして、帰宅した私が
ビールを飲んで一息ついていると、電話が鳴りました。
慌てて受話器を取ると従兄弟からでした。
先程病院で、母との話題に上った2番目の伯母の次男ですが
「今日、午後の2時半頃おふくろが亡くなってさぁ‥」と言うのです。
「え!?」と私は絶句し
「うっそー!」という言葉が思わず出てしまいました。
母と私がちょうど伯母の写っている写真を見ながら
いろいろ話しをしていた頃じゃあないですか‥
5人姉妹の中で母と一番うまが合ったという伯母が
これはもう‥‥お別れをしに来た‥‥
としか思えない事象じゃあないですか‥‥ねぇ‥
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現在、信州の母の実家は5番目の末娘である叔母が継いでおります。
その叔母から母へ手紙が届きました。
私は入院中の母へ、その手紙を届けるため病院へ行きました。
入室しますと母は寝息をたてて寝入っていました。
時計を確かめると午後2時15分前でした。
30分程で母が目覚めましたので
手紙の封を開け中を見ますと、写真が同封されておりました。
叔母と一緒に写っていたのは
現在施設に入居している、母のすぐ上の姉で2歳違いの伯母でした。
先日、叔母が施設を見舞った時に撮った写真だそうで
2番目の伯母は相変わらず大きな目を開け
満面に笑みを湛えていました。
ベッドの母に写真を渡すと、寝起きのぼやけた顔が
急に光りを当てたように輝きました。
「いいなあ‥元気そうだなあ‥」と
母は写真を見ながらつぶやきました。
安曇野の道祖神が描かれている叔母の手紙には
丁寧な筆跡で近況が書かれていました。
その日、病院をあとにして、帰宅した私が
ビールを飲んで一息ついていると、電話が鳴りました。
慌てて受話器を取ると従兄弟からでした。
先程病院で、母との話題に上った2番目の伯母の次男ですが
「今日、午後の2時半頃おふくろが亡くなってさぁ‥」と言うのです。
「え!?」と私は絶句し
「うっそー!」という言葉が思わず出てしまいました。
母と私がちょうど伯母の写っている写真を見ながら
いろいろ話しをしていた頃じゃあないですか‥
5人姉妹の中で母と一番うまが合ったという伯母が
これはもう‥‥お別れをしに来た‥‥
としか思えない事象じゃあないですか‥‥ねぇ‥
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2019年05月25日
母の病状と心の波
私はこれまで救急車には8回お世話になっていす。
夫、夫の両親、私の父‥そして三日前、母を病院へ搬送していただきました。
動揺し気持ちが縮まります。
昼食の用意ができたので呼びに行きますと
母はベッドに座ったまま動くことが出来なかったのです。
母は今年の初め膝の病気で入院しました。
今回は心臓です。
もともと疾患を抱えていたのですが状態は悪化していたようです。
高齢のため処方してもらったお薬の効能自体が
うまく機能しなくなっているようでした。
動きの少なくなった母に、つい叱咤激励のようなやり口で
介護をしていた私は己の浅はかさを呪うばかりです。
翌日の朝、母が昨日のお昼に食べるはずだった
お粥を食べてたら不覚にも涙が出てきました。
私から体を動かして筋肉を増やせと
言われまくっていた母を思うと
気の毒で可愛そうで胸がえぐられる思いです。
心臓がそんなに弱っていたとは気が付きませんでした。
夫にも夫の両親にも父にも母にも
なんでいつも優しくなかったんだろう
普通一回学習すれば会得するでしょうに‥馬鹿ですよねえ
病院へ行く前、母の入院費用を少しでも節約するため
標準負担額減額認定証を交付してもらうため区役所へ行きますと
ロビーで刑務所で作られた品物の即売会をやっていました。
府中出身のひのきの鍋敷き、企画・裁断・プリントが函館少年刑務所
縫製・検査が釧路刑務支所のとってもしっかりとしたつくりの
《刑務所のブックカバーR調文庫版(函館)》を購入しました。
平常心を保つため日常に溶け込み寝不足の目で作品を選びました。
平常心を保つというのは難しいです。
病室へ入ると酸素吸入器を付けた母は
顔にいくらか生気が甦ったようでした。
負けん気の強い母は歯も自分で磨き食事も座って自分で食べます。
しかし体内はぼろぼろなんです。
この先どうなるのかちょっと‥‥
ガラス細工のようになってしまった母をどうすることも出来ない。
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2019年05月23日
斎藤工さんの一生さんへのコメント
【#斎藤工 さんコメント⑫#高橋一生 さん】大袈裟でなく、一生さんが居なかったら今の私はいません。『#blank13』も生まれませんでした。もはや特別過ぎて括れない存在です。面と向かっては照れ臭くて言えないですが…引き続き宜しく、太郎ちゃん。Message有り難うございます。#東京独身男子 pic.twitter.com/GI9cCdLQtZ
— 【公式】斎藤工×LESLIE KEE SUPERフォトマガジン「JOURNEY」 (@takumi_journey) 2019年5月23日
工さんが一生さんに抱いたものは‥
一生さんは「blank13」のオファーがあった時
「なんで僕なんだろう?」と不思議な気がしたそうです。
工さんはある日TVのドキュメンタリー番組で
一生さんが親しくされている市川猿之助さんに
インタビュ‐しているのを観て物腰の柔らかさや
多面性、奥行きを感じいろいろと抱えている人だなと
魅力を感じたそうです。
俳優は見た目や年齢でジャンル分けされる。
でも一生さんはそこにおらず
年代を越えた不思議な存在だと思ったそうです。
だからblank13の父親不在の時間の流れの中に自然といた‥
工さんはコウジが一生さんでなければ
このblank13にはなっていなかったとおっしゃいます。
一生さんは齊藤工監督の作品作りの姿勢に感銘したようで
咀嚼する時間をゆっくりもつ事により
役を浸透させる事が出来たそうです。
一生さんはご自分の役者人生をこのblank13以前
以後に分けて考えるほど指針になっているそうです。
お互いにリスペクトし合うお二人って素敵ですよね。
今や太郎ちゃんと玲也ちゃんだもんね
この二人っていずれ何か大きなお仕事をするような予感がします。
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2019年05月17日
ヨコハマメリーさん
先日横浜にある映画館ジャック&ベティーの上映予定を見ていたら
「ヨコハマメリー」という文字が目に飛び込んできました。
上映するわけではないのですが「ヨコハマメリー」の監督である
中村高寛さんの企画を紹介する文面に書かれていたのです。
30歳以上の方で横浜で生活をしていた人なら
知っている人は多いと思うのですが
いわゆる白い洋装の貴婦人のような出で立ち
お顔も白塗りに近い状態で
伊勢佐木町界隈や横浜駅周辺に現れる女性がいたのです。
私はいつの頃からかはっきりしませんが
よく見かけていました。
誰から聞いたのか覚えはないのですが
外人さん相手の娼婦だということが
まことしやかに囁かれておりました。
それは多くの人が知っていることでした。
まだ小さかった息子を連れ横浜駅界隈を歩いていると
白装束のメリーさんが高島屋へ入ったのを見かけました。
多分それがメリーさんを見た最後だったと記憶しています。
それ以降ぷっつりと見かけなくなりました。
すっかり忘れかけていた頃
横浜出身の女優五大路子さんが「横浜ローザ」という
メリーさんをモデルにした芝居を演じるようになりました。
その後も本が出版されたり、ドキュメンタリー映画になったりと
俄に「メリー」さんがクローズアップされるようになったのです。
あとから知ったのですが
私が最後に見かけてしばらくして
「メリー」さんは岡山の老人ホームへ入り
その後2005年に84歳の生涯を終えたそうです。
生きた時代と横浜という土地柄が都市伝説のような
謎のメリーさんを作りあげていったような気もします。
メリーさんにはメリーさんの成り行きと事情があったでしょう。
そして何より生き抜くという想いがメリーさんを
貫いていたのだと思います。
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「ヨコハマメリー」という文字が目に飛び込んできました。
上映するわけではないのですが「ヨコハマメリー」の監督である
中村高寛さんの企画を紹介する文面に書かれていたのです。
30歳以上の方で横浜で生活をしていた人なら
知っている人は多いと思うのですが
いわゆる白い洋装の貴婦人のような出で立ち
お顔も白塗りに近い状態で
伊勢佐木町界隈や横浜駅周辺に現れる女性がいたのです。
横浜の闇を抱えた街に光が差し始めたとき、彼女はその街から姿を消した… #横浜 #ヨコハマ #YOKOHAMA #ヨコハマメリー #メリーさん #時代屋弥勒堂 https://t.co/0yI86zZ8WS
— 時代屋 弥勒堂 (@jidaiya369dou) 2019年5月16日
私はいつの頃からかはっきりしませんが
よく見かけていました。
誰から聞いたのか覚えはないのですが
外人さん相手の娼婦だということが
まことしやかに囁かれておりました。
それは多くの人が知っていることでした。
まだ小さかった息子を連れ横浜駅界隈を歩いていると
白装束のメリーさんが高島屋へ入ったのを見かけました。
多分それがメリーさんを見た最後だったと記憶しています。
それ以降ぷっつりと見かけなくなりました。
すっかり忘れかけていた頃
横浜出身の女優五大路子さんが「横浜ローザ」という
メリーさんをモデルにした芝居を演じるようになりました。
その後も本が出版されたり、ドキュメンタリー映画になったりと
俄に「メリー」さんがクローズアップされるようになったのです。
あとから知ったのですが
私が最後に見かけてしばらくして
「メリー」さんは岡山の老人ホームへ入り
その後2005年に84歳の生涯を終えたそうです。
生きた時代と横浜という土地柄が都市伝説のような
謎のメリーさんを作りあげていったような気もします。
メリーさんにはメリーさんの成り行きと事情があったでしょう。
そして何より生き抜くという想いがメリーさんを
貫いていたのだと思います。
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