2023年09月17日
昔の事を思い出しました‥
1960年代、私が小学生の頃
スリーファンキーズとジャニーズという
男性アイドルグループが
現在のような高度な振り付けではないのですが
踊ったり歌ったりと華やかに活躍していました。
当時スリーファンキーズは「ナカナカ見つからない」という歌が
ヒットしていて、私もよく鼻歌で歌う程調子のよい歌でした。
後に“全日本歌謡選手権”等の司会中心に活躍された長沢純さん
“うっかり八兵衛”役で「水戸黄門」に出演されていた
高橋元太郎さんが参加されていました。
ジャニーズはあおい輝彦さん、飯野おさみさん、真家ひろみさん
中谷良さんの4人組で、テレビドラマの「太陽のあいつ」の主題歌が
ヒットしていたように記憶しています。
しかし両グループ共60年代後半には
グループサウンズの台頭によりあっけなく解散しました。
両アイドルグループのファンに至る事もなく過ごした私ですが
小6の頃「僕のマリー」でデビューした
ザ・タイガースには魂を奪われたようにのめり込みました。
遠い昔の事を、ジャニー喜多川氏の起こした出来事の
あらましをテレビで見ていたら思い出しました。
ジャニーズ解散後のメンバーの中では
あおい輝彦さんが最もメディア露出度が高かった印象があります。
ちばてつやさんの漫画作品をアニメ化した「あしたのジョー」では
主人公“矢吹丈”の声をあおい輝彦さんが担当していましたし
人気テレビドラマ「二人の世界」ではキャストとして登場し
主題歌もあおい輝彦さんが歌い、しかもヒットしていました。
当時同ドラマを視聴していた私は主題歌「二人の世界」が大好きで
レコードを買い何回も聞き、歌った覚えがあります。
その他「あなただけを」もヒットし、“夜のヒットスタジオ”で
売れっ子歌手の皆さんに囲まれ歌うあおい輝彦さんを見ました。
何年か前、「徹子の部屋」のゲストにあおい輝彦さんが出演され
ジャニーズというグループが結成に至ったいきさつを
滔々と話されていました。
黒柳徹子さんとジャニー喜多川氏は懇意にしているとの事で
「ジャニーさん、ジャニーさん」と喜多川氏との親密ぶりを
今想えば番組でもよく披露していましたよね‥
カリフォルニア生まれのジャニー喜多川氏は
戦後、通訳の仕事のかたわら
近所の少年を集めて野球チームをつくったそうです。
1960年初頭のある日、野球のチームメンバーだった
後にジャニーズとなる4人を含む少年達を連れ
そのころ興行的に当たっていた
映画「ウエストサイド物語」を見に行き
一行が感動と憧れを抱いたことが、ジャニーズ事務所設立の
きっかけとなったそうです。
あのジョージ・チャキリスさんを真ん中にして
足をきれいに高くまっすぐに上げて踊る映画ポスターは
当時小学生だった私の目にもカッコよく素敵にうつりました。
ジャニーズが解散するとすぐにフォーリーブスが
ジャニーズ事務所からデビューし、かなりの人気を博しながら
その後10年余り活躍した記憶があります。
大きなゴムの輪を操って歌う「ブルドック」は
今でも♪にっちもさっちもどうにもブルドック~🎶と
口を突いて出てきます。
そして、いつだったか?美容院で週刊誌を読んでいると
フォーリーブス解散後の北公次さんを通して
彼が事務所に在籍していた当時
ジャニー喜多川氏との間に起きていた衝撃の出来事の
記事が出ているではないですか‥
当時その記事を読んだ私は、えー!?まさか‥そんな‥売名行為?‥
と、ガセネタの多い当時の週刊誌のことなので軽く受け取り
半分スルー状態ではありましたが
頭の片隅にはずーっとその事が刻まれていて
得体のしれないモヤっとしたものがなんとなくとありました。
私と同年代の方でしたら
記憶にある方は相当数いらっしゃると思いますが‥
ワイドショーなどで話題騒然と言うこともなかったのですが
かすかに触れていた番組もあるには、あったような記憶はあります。
今となっては、漸く思い出したような状態で
忘れていた事が、最近の騒ぎで呼び戻されたような気がします。
ですが、あの時読んだ記事の内容が事実だとしたら
この日本において、マスコミがただではおかない出来事だろうし
ニュースの中でしっかり取り上げられるべき事態なのでは?と
思いましたが、豈図らんや大した取り沙汰もされずに
そのまま時は流れ‥ジャニーズ王国なるものが
脈々と築き上げられていったのです。
でも‥まさか、事務所に忖度なんて‥そんな馬鹿げた事で
あれだけの情報を見て見ぬふりをして
加害の温床に真綿の布団を掛けてぬくぬくと温めていたなんて‥
それを想うと、私達がこうやって生きていて
色々な事を知ったり観たりする情報は、公平には流れていない
と言う事実のリアルさが身に染み入りました。
ある民族に対する弊害の話題などは、ほとんど流れてはいないし
情報回避、情報操作なんて事が行われているとしたら
なんだか怖い世の中だなと思います。
わかってはいるのです。心のどこかで‥世の中の出来事が
全て公平な立場で捉えられ発信されてはいない事を‥
保身のために波風を立てぬよう敢えて取り上げなかったり
確信犯的な偏り情報の発信だってあるかもしれません。
自分が酷い目にあって訴えているのに
見て見ないふりをする世間が目の前に広がっていたら‥
今の自分の感覚としては、死ぬより怖いような気がします。
当時、ジャニー喜多川氏との事を
血を吐くに等しい想いで告白した北公次さんは
不条理な現実を目の当たりにし、呆然としたと思います。
本当に気の毒だったと思います。
にほんブログ村
スリーファンキーズとジャニーズという
男性アイドルグループが
現在のような高度な振り付けではないのですが
踊ったり歌ったりと華やかに活躍していました。
当時スリーファンキーズは「ナカナカ見つからない」という歌が
ヒットしていて、私もよく鼻歌で歌う程調子のよい歌でした。
後に“全日本歌謡選手権”等の司会中心に活躍された長沢純さん
“うっかり八兵衛”役で「水戸黄門」に出演されていた
高橋元太郎さんが参加されていました。
ジャニーズはあおい輝彦さん、飯野おさみさん、真家ひろみさん
中谷良さんの4人組で、テレビドラマの「太陽のあいつ」の主題歌が
ヒットしていたように記憶しています。
しかし両グループ共60年代後半には
グループサウンズの台頭によりあっけなく解散しました。
両アイドルグループのファンに至る事もなく過ごした私ですが
小6の頃「僕のマリー」でデビューした
ザ・タイガースには魂を奪われたようにのめり込みました。
遠い昔の事を、ジャニー喜多川氏の起こした出来事の
あらましをテレビで見ていたら思い出しました。
ジャニーズ解散後のメンバーの中では
あおい輝彦さんが最もメディア露出度が高かった印象があります。
ちばてつやさんの漫画作品をアニメ化した「あしたのジョー」では
主人公“矢吹丈”の声をあおい輝彦さんが担当していましたし
人気テレビドラマ「二人の世界」ではキャストとして登場し
主題歌もあおい輝彦さんが歌い、しかもヒットしていました。
当時同ドラマを視聴していた私は主題歌「二人の世界」が大好きで
レコードを買い何回も聞き、歌った覚えがあります。
その他「あなただけを」もヒットし、“夜のヒットスタジオ”で
売れっ子歌手の皆さんに囲まれ歌うあおい輝彦さんを見ました。
何年か前、「徹子の部屋」のゲストにあおい輝彦さんが出演され
ジャニーズというグループが結成に至ったいきさつを
滔々と話されていました。
黒柳徹子さんとジャニー喜多川氏は懇意にしているとの事で
「ジャニーさん、ジャニーさん」と喜多川氏との親密ぶりを
今想えば番組でもよく披露していましたよね‥
カリフォルニア生まれのジャニー喜多川氏は
戦後、通訳の仕事のかたわら
近所の少年を集めて野球チームをつくったそうです。
1960年初頭のある日、野球のチームメンバーだった
後にジャニーズとなる4人を含む少年達を連れ
そのころ興行的に当たっていた
映画「ウエストサイド物語」を見に行き
一行が感動と憧れを抱いたことが、ジャニーズ事務所設立の
きっかけとなったそうです。
あのジョージ・チャキリスさんを真ん中にして
足をきれいに高くまっすぐに上げて踊る映画ポスターは
当時小学生だった私の目にもカッコよく素敵にうつりました。
ジャニーズが解散するとすぐにフォーリーブスが
ジャニーズ事務所からデビューし、かなりの人気を博しながら
その後10年余り活躍した記憶があります。
大きなゴムの輪を操って歌う「ブルドック」は
今でも♪にっちもさっちもどうにもブルドック~🎶と
口を突いて出てきます。
そして、いつだったか?美容院で週刊誌を読んでいると
フォーリーブス解散後の北公次さんを通して
彼が事務所に在籍していた当時
ジャニー喜多川氏との間に起きていた衝撃の出来事の
記事が出ているではないですか‥
当時その記事を読んだ私は、えー!?まさか‥そんな‥売名行為?‥
と、ガセネタの多い当時の週刊誌のことなので軽く受け取り
半分スルー状態ではありましたが
頭の片隅にはずーっとその事が刻まれていて
得体のしれないモヤっとしたものがなんとなくとありました。
私と同年代の方でしたら
記憶にある方は相当数いらっしゃると思いますが‥
ワイドショーなどで話題騒然と言うこともなかったのですが
かすかに触れていた番組もあるには、あったような記憶はあります。
今となっては、漸く思い出したような状態で
忘れていた事が、最近の騒ぎで呼び戻されたような気がします。
ですが、あの時読んだ記事の内容が事実だとしたら
この日本において、マスコミがただではおかない出来事だろうし
ニュースの中でしっかり取り上げられるべき事態なのでは?と
思いましたが、豈図らんや大した取り沙汰もされずに
そのまま時は流れ‥ジャニーズ王国なるものが
脈々と築き上げられていったのです。
でも‥まさか、事務所に忖度なんて‥そんな馬鹿げた事で
あれだけの情報を見て見ぬふりをして
加害の温床に真綿の布団を掛けてぬくぬくと温めていたなんて‥
それを想うと、私達がこうやって生きていて
色々な事を知ったり観たりする情報は、公平には流れていない
と言う事実のリアルさが身に染み入りました。
ある民族に対する弊害の話題などは、ほとんど流れてはいないし
情報回避、情報操作なんて事が行われているとしたら
なんだか怖い世の中だなと思います。
わかってはいるのです。心のどこかで‥世の中の出来事が
全て公平な立場で捉えられ発信されてはいない事を‥
保身のために波風を立てぬよう敢えて取り上げなかったり
確信犯的な偏り情報の発信だってあるかもしれません。
自分が酷い目にあって訴えているのに
見て見ないふりをする世間が目の前に広がっていたら‥
今の自分の感覚としては、死ぬより怖いような気がします。
当時、ジャニー喜多川氏との事を
血を吐くに等しい想いで告白した北公次さんは
不条理な現実を目の当たりにし、呆然としたと思います。
本当に気の毒だったと思います。
にほんブログ村