救急車

2021年01月26日

母の病状その8

母は昨年の9月に体調が急変し急遽10月に入院。
カテーテル治療のため転院し
再び元の病院へ戻り12月8日に退院しました。
バタバタとではありますが年末年始を無事自宅で過ごしました。

松が取れて生活も普段どおりのリズムを取り戻し
家族の動きも順調に動き出した矢先の1月10日
私は救急車を呼び母を病院へ搬送して頂きました。

病院の救急センターの検査により
母が重篤な状態である事を医師から告げられた私と弟は
集中治療室へと運ばれた母の様子をコロナ禍の中ですが
特別に見ることを許されました。
母は朦朧としておりました‥‥

普段ならばとうに床についているはずの夜の闇の中を
弟夫婦と一緒に最寄りの駅へと足早に帰路につきました。


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記憶をたどり数えてみると今まで救急車を呼んだのは7~8回?
ドクターカーを含めると10回近くになるんだなぁと
実父、義父、夫、実母の順で救急搬送した事が蘇ります。

毎回ドキドキして私自身、寿命が縮むような想いを繰り返しました。


今回の母は、処置の後に医師が驚く程の勢いで復活し
な、なんと!一週間で退院することができたのです。
現在は以前とほぼ同様の生活をしています。

デイサービスだけはもう少し様子をみて申し込もうと思っています。

しかし持病はそのままの状態ですし再び悪化するという事態は
もしかしたら明日?一ヶ月後?半年後?一年後?かもしれません‥
そう遠くはないと想っています。

でもいずれは誰でも通る道です。

介護している者は多少なりとも振り回されますが
これもまた多くの人が通る道ですしねぇ‥‥


母を抱えた今の自分が「大変」だとは思っていません。

「大変」ではないのですが「しんどい」ですねぇ‥

微妙な違いですがそんな心境です。




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wxy812 at 21:05|PermalinkComments(0)